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私のアメリカを探して 5

「ジョン・デンバーとケニコットの銅精錬所」
ランゲル‐セントエリアス国立公園
Wrangell-St.Elias National Park、Alaska


Kennicott Copper Mill


 ここまで来るとさすがに地球の端まで来てしまったような気分にさせられる。周りは獣たちさえも立ち入れないくらいの山々が峰を連ね、何万年前に凍りついた氷河の端っこが気の遠くなるような時間をかけて溶けて流れ、幾つもの川を作っている。
 ランゲル‐セントエリアス国立公園は東側のカナダのクラーネ国立公園と峰を接し、面積ではアメリカで一番大きな国立公園だ。イエローストーンの6倍という広大な土地は、その大部分が氷河と高い山脈によって占められていて、なんとその16の山々のうち、9つまでが北米大陸の最高峰にランクされている(1位はデナリ国立公園のマッキンリー山)。

Water Lily

 過酷な条件で長い間、人間の侵入を拒んできたランゲル‐セントエライアス山脈だったが、1900年代の初頭に銅の鉱脈の発見で、他のアラスカの金山と同じく人々がなだれ込んできた。ケニコットにできた銅の精錬所のおかげで、最果ての地に鉄道が敷かれ、鉱山の町には銀行が建ち、病院ができた。隣のマッカーティーと合わせて人口は2000人に膨れ上がり、銅山の最盛期には24時間フル操業で、なんと年間59万1千トンの銅を産出したといわれるが、しかし1938年、世界的な銅の下落で鉱山は閉鎖された。
 現在この地区には、年間を通じて30人あまりの人たちが住んでいるが、朽ち果てかけた古い建物は、今でも昔の面影を残したまま風雨に耐えて立っている。そして、その精錬所跡はこれまで何度か違う会社の手に渡って、現在はナショナルパークサービスが買い取り、修復してアメリカの歴史として残す努力がされている。


"Lodge" Restaurant

 カメラマンのダイアンは、ガイドの夫と共にこの山に魅せられてマッカーティーに住みついてしまった一人だ。この精錬所が国立公園の所有になってから彼女はガイドの仕事を得た。短い夏の間訪れる観光客のために古い建物の中を案内し、銅山の歴史を説明する。ダイアンは仕事中でも古い一眼レフのカメラを離したことがない。彼女のカメラにはモノクロームのフィルムが入っていた。白黒でこの山と歴史を記録しているのだ。
 彼女の案内で朽ちかけた太い木材の建物の中を、ギシギシと足音をたてながら歩いていると、緑色に腐食した銅のかけらが残る機械のそばから山の男たちがひょっと現れ出るような気がした。ダイアンはそんな男たちと毎日話をしているのだという。彼女の頭の中には銅山の厳しい歴史が正確に刻み込まれていた。 ”夏草や、兵どもが夢の跡”まるで芭蕉の句そのもの、タイムスリップにあったような銅山の一日だった。

 ここはジョン・デンバーが生前愛した場所でもある。マッカーティーに一軒だけあるバー『ロッジ(Lodge)』には、夕方になると三々五々、人々が集まってくる。暗くならない白夜の長い夜をビールの杯を交わしながら共に楽しむのか、小さな輪は時間とともにいつのまにか大きく膨らんでくる。デンバーもこの輪の中で語り明かしたのだろうか?
 一人の男が興味ある話をしてくれた。ある年のクリスマスイブに、デンバーは精錬所の一番高い梯子の上に上ってギターを弾きながらここで作った歌を歌った。それは全米にTV放映され、忘れ去られようとしたこの最果ての銅山がまた人々の心に蘇ってきたのだ。精錬所を国立公園が買い取り、新しく生まれ変わらせたのはそれからである。ここに住む人たちはこの精錬所を誇りにし、この山を歌ったジョン・デンバーは今でも人々の心の中に生き続けている。


Roots Glacier

 翌日、ルーツ氷河に登った。靴の下にアイゼンを着けてザクッ、ザクッと氷河を踏み締める。グレイシアブルーが青空にさらに輝きを増し、乾いたのどに溶けたばかりの水を流し込む。何万年か前に凍り付いたこの氷の上に仰向けになると、人間の一生なんて、なんてちっぽけなものかと思い知らされる。
 一羽の鷲が雪をかぶった山よりももっと高く旋回していった。


『ランゲル‐セントエリアス国立公園』

■行き方:車で行くか、チャーター飛行機で公園内まで行くかの2通りだけ。車だとアンカレッジからアラスカハイウエーで公園西側の公園ヘッドクオーターまで約189マル。そこから10号線をChitinaまで行き、あとはカパーリバーに沿って未舗装路を約6マイルでマッカ−ティーに到着する。
■ホテル& Inn
 Kennicott Glacier Lodge(800-582-5128)
 Ma Johnson's Hotel(907-554-4402)


English Version

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