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パンゴパンゴの空港に降り立つと篠突くような雨の出迎えにあった。
ボクはとたんに不安になった。初めての土地で、人相のよくない大男の運転手に真っ暗い雨の夜。沈黙はますます不安をつのらせる。何か共通の話題を探した。サモア、イコール、大男、イコール相撲取り。曙、小錦、それに知っている限りのサモア出身のプロレスラーの名前を列挙すると、運転手は初めて笑顔で答えてきた。なんとその笑顔の人なつこいことか。いらぬ不安は一掃した。さてモーテルに着いたものの今度は受け付けにはだれもいなかった。運転手も手伝ってあたりを探すが相変わらず人の気配はない。途方に暮れているとカウンターの裏側のコンクリートの土間で人のうめき声みたいなのが聞こえてきた。のぞくと大きなからだの女が寝転がっていた。さては物盗りーーー? 身体が緊張でこわばった。しかしうめき声と勘違いしたのはたんなるいびきだった。彼女は飛行機が到着して予約客が到着するまでの一時を仮眠と決め込んだのだったが、うっかり寝込んでしまったのだった。女は頭をぼりぼり掻きながら大きく伸びをするとこれまたこぼれるような笑顔でボクを迎えてくれた。この人たちのなんと明けっ広げで大らかなことか。初めてのサモアは飾らない裸の姿でボクを迎えてくれた。
5つの火山島と2つの珊瑚島からなるアメリカ領サモアはフィジーやトンガ、タヒチ島などの南太平洋の中の一つ、ハワイから2,600マイル南西に位置し、飛行機で5時間半かかる。季節は10月から5月の暑い雨季と6月から9月の少し涼しい乾季の2つしかない。人口は一番大きな島ツツイラに約6万人近くが集中しており、高温多湿の自然に育まれ人も植物もすくすくと大きく育つ。サモア出身の相撲やレスラーが強いのは生まれつきの素質に恵まれたもので、ここでは男も女もびっくりするほど健康的で大きかった。
アメリカ領サモアは50年にわたるアメリカ海軍の統治から1951年ににアメリカ領となり、人々の間ではいまやサモア語よりも英語の方が共通語となりつつある。島のあちこちには第2次大戦での日本軍の攻撃に備えて砲台が作られ今もその残骸が波打ち際に残っているが、同胞の日本人兵士がすぐそこまで攻めてきたのだと思うとボクの心に痛みが走った。 パンゴパンゴのダウンタウンを抜けてアウアの村から山道を登ると行き当たりがバチアの村だった。この村は全体が国立公園の中に入っておりそのはずれには昔からトネさん一家が住んでいた。家の真ん前には国立公園の看板が立てられたが、彼らにとってはあまり意味がないようだった。ここを訪れる観光客はめったにいないし、奥さんのスルさんは毎日5人の子供の世話をしながらいつものように椰の幹に洗濯物を干していた。サモアの人口は過去20年間で倍増したといわれる通りこの村も子だくさんで嬌声をあげ裸足で走り回る子供達がいた。トネさんの家は屋根と床だけで壁はなかった。家の中は外から丸見えで部屋のまん中には自慢のカラーテレビが置いてあった。
家の前庭を抜けると深く樹木が茂った熱帯雨林の小道が続き、それを抜けると山が直接海に落ち込んだ切り立った断崖になった。南太平洋の荒波が岩肌を削り取り白煙をあげている。
サモアでの最後の日を迎え、束の間の晴れ間を縫って小型機でオフ島へ飛んだ。雲の隙間から国立公園になっている白い砂浜が見える。この島はサモアでも一番美しい珊瑚礁のビーチといわれている。オフ島はオロセガ島と橋で結ばれ3百名余り住民が住んでいるだけでツツイラみたいな喧騒はなく、まさに南太平洋のパラダイスだった。ビーチを歩いていると若い漁師の男とであった。男は17才ながら2人の父親だった。彼は叔母さんがやっているという民宿に案内してくれた。宿の前は珊瑚のビーチで男は得意の投げ網で魚を捕ってみせた。捕れた魚は色鮮やかなトロピカルフィッシュばかりだったが、すぐに叔母さんのローカル風味付けでボク達は舌鼓をうったのである。昔から多くの船乗りがサモアの女たちの情にほだされここに住み着いたという。ボクにはその気持ちが良く分った。
行き方: オフ島(Ofu Island)ヘはInter Island(684-699-7100)でパゴパゴから30分のフライト。
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